>> こういうこと言うやつはそもそも映画館で映画見てない

これだな。

行かねーヤツは黙ってろぃ!

どうも、トトです。



そうして完全に役目を終えた映画館に

またしても新作映画を観にいってきましたよ。

予告編を見たときから気になっていて、

観に行こうと決めていました。

ってことで、公開日である9/11当日に観てきました。




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The Specials
(原題(フランス語):Hors normes)

今日もブリュノ(ヴァンサン・カッセル)は、朝から駆けずり回っていた。自閉症の子供たちをケアする団体〈正義の声〉を運営しているのだが、支援している青年の一人ジョゼフが、電車の非常ベルを鳴らして鉄道警察に取り押さえられたのだ。ジョゼフを家まで送り届けると、今度は緊急地域医療センターへと向かう。重度の症状から6か所の施設に受け入れを断られたヴァランタンという少年の一時外出の介助を頼まれたのだ。長年にわたって閉じこめられたせいで、ヴァランタンは完全に心を閉ざしていた。頭突き防止のヘッドギアをつけて、一人で立ち上がることもできない彼を見ても、ブリュノはいつもの言葉を口にする─「何とかする」。
施設に戻ると、待ち受けていた会計士から、監査局の調査が入ることになり、不適切な組織だとジャッジされれば、閉鎖を命じられると忠告される。赤字経営で無認可、法律の順守より子供たちの幸せを最優先するブリュノの施設は、役人に叩かれれば山のように埃が出る状態だった。

ブリュノはヴァランタンの介助を、マリク(レダ・カテブ)に相談する。ドロップアウトした若者たちを社会復帰させる団体〈寄港〉を運営するマリクは、教育した青少年をブリュノの施設に派遣していた。マリクは遅刻ばかりでやる気のない新人のディランを、ヴァランタンの介助人に抜擢する。
そんな中、調査員が関係者との面談を始める。まずはジョゼフの母親が、無認可の組織の落ち度を探られるが、彼女はいかにブリュノが親身で熱心かを力説し、「認可なんて関係ない」と言い切るのだった。
ジョゼフの勤め先を見つけようと、1万通メールしても断られ続けたブリュノだが、ようやく試しに1週間雇ってくれる洗濯機工場が現れる。だが、それも長くは続かなかった。一方、運動に連れ出されたヴァランタンも、遅れてきたディランの鼻に頭突きをしてしまう。直前まで手を握っていたのにと憤然とするディランに、ブリュノは虐げられてきた彼らの恐れや怒りを想像するようにとアドバイスするのだった。

調査員は次なるターゲットのマリクに、大半の支援員が無資格だと詰め寄るが、マリクは資格があれば暴れる子を抑えられるのかと鼻で笑う。緊急地域医療センターの医師も、3か月で退院しなければならない患者を無条件で受け入れてくれるのは、「心と信念で働いている」ブリュノだけだと証言する。
調査員が称賛の声にも耳を貸さず、無秩序で怪しげな団体だと決めつける中、事件は起きてしまう。ディランが目を離した隙に、ヴァランタンが姿を消したのだ。ヴァランタンはどこへ消えたのか? そして施設はこのまま閉鎖に追い込まれるのか? 救いの手が必要な子供たちの未来は─?






ハリウッドリメイクもされた話題作

最強のふたり』の監督が制作した

こちらも実話に基づく作品。

リメイクは興味なかったけど、

そもそもの原作であるフランス版を見てたので

その監督が作った新作ってことで何気に楽しみにしてました。

アメリカ以外の欧州諸国の映画だと

なかなか合う合わないってのがありますが、

その中でもフランスの映画は割と個人的に"合い"ます。



今回の作品、英題だとThe Specials

製作されたフランスでの原題はHors normes

そして問題の邦題は…

スペシャルズ! ~政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話~

長ぇわ!(ノ ゚Д゚)ノ  ┫:・'.::・┻┻:・'.::・

こうなっちゃうとなぁ…

おいおい… って、さすがに思っちゃいますよね。

何気に公式から引っ張ってきたあらすじも長げーし。笑

あらすじでほぼ本編語ってちゃってるじゃん。笑



しかし、公開劇場数はさすがに少ないものの

TOHOシネマズ系列になってるのは

『最強のふたり』の時より規模拡大してるっぽい。

最強~の時って、もっと小劇場、ミニシアター系だった気が。

最強~って、日本で公開された

歴代フランス映画の中で興収1位になった、とか

どっかで見た気がするけど、その影響かな?


まず、ブリュノを演じたヴァンサン・カッセルは

この作品は自閉症について描いた映画ではなく、他者への、そして献身について描いた映画なんだ。

と、今作を評しています。


まぁ、予告編とあらすじで

何となくの全体像がわかると思うので

あまり多めに語ることもないけど、

ブリュノとマリクのことを考えれば

確かに愛や献身を描いた作品かもしれないけど

やっぱ、テーマとしては重い。

重いけど、時折コメディ要素を出して

観てる人を笑わせてくれるのは良い。

ブリュノの出会い系とかw

作中に出てくる難しい名前の施設等々の略称を

当てるクイズゲームをしたりとか。

同じテーマを扱ったとしても、

悲壮感しか出さない日本の映画とは違うわ。


しかし、こういったことってフランスだけに限らず

どこの国にもある共通の問題なんだろうなと思う。

日本にだってないとは絶対に言い切れないでしょう。

そういう"人"関連のは見せたくないのかあまり見かけないけど

"動物"ものならたまに見るな。

どこぞの馬鹿が、出来もしない多頭飼いをして

結局、手に追えなくなって死なせてしまうとか、

行き着く先は殺処分になるし、そうさせない為に

ボランティアでやってる人たちに預けるとか。

『ノンフィクション』かなんかで見た覚えがあるわ。


医療や介護の"技術"は、そこそこあるのかもしれないけど

そこに従事する現場の人たちや、患者への対処(対応)なんかは

日本でも誇れるものはないように思う。

介護なんて人員不足が叫ばれて長いし、

業務内容に対して賃金が低すぎるのも

問題としてずっと挙げられている気もします。


しかも、こういった映画に於いて

日本のものと圧倒的に違うところは

さっきの"笑いどころ"の面もそうだけど、

甘っちょろいお涙頂戴ものにしないということ。

自閉症の子たちを"可哀想"に描かない。

映画の内容自体は非常に素直ですよね。

だからこそ重くもあるんだけども。


本作は実話を基にしてるから余計になのかもしれないけど

紛れもない"現実"を淡々と突きつけてきます。

下手に感動路線に持っていかないから

その現実を観てる人も否応なく直視することになると思います。

パンフレットに載っている、マリク役を演じた

レダ・カテブのインタビューの言葉にも

その"現実"の一端を見ることができます。

撮影中、症状の重い子と親しくなったんだ。食事の時は僕に笑いかけたのに、撮影が始まると僕を見た途端逃げてしまった。(中略)
彼らはフィルターをかけたりしないし、下心だってない。彼らとコミュニケーションを取るには方法を見つけるしかない。俳優は時に真実を嘘のように見せかけたり、嘘を真実のように見せるけど、自閉症の子どもたちには真実しかない


終盤にブリュノが監査員に対して

じゃあ全員引き取ってくれよ

と物申すシーンは痛快だけど、

それでも何も言えなくなる監査員には

1発くらいぶん殴ってもバチは当たらんだろと思うし

認可があろうがなかろうが、

ブリュノたちのような団体があることによって

救われている家庭、人物、果ては命だって

少なくないのも事実なんでしょう。

エンドロールでは定番の後日談として

結局、国の手には追えず

代替措置がないので特例で認めることにした

と、苦し紛れの施策を打ち出した旨を発表された。

何とも煮えきらんよね、こういうの。

てめーらがちゃんとしないから

半ばボランティアでやっているような

ブリュノたちのような団体が

""と"信念"で、その身を粉にして働いているのに

認可や資格があるだのないだの、

なければ監査対象だ、おたくらの行為の是非を問うだの

お前らの怠慢から生まれてることやろが!

って思っちゃうよね。

問題の本質である"抱え切れない自閉症患者"を放置しておいて

無認可とはいえ、その子らの為に懸命に動いてる人たちに対し

小言いうだけのお役所仕事なんざ楽でいーよな。

何様なんだって感じ。

映画じゃなくても、現実によくあるじゃん。

こういうのクッソ腹立つから大嫌いなんだよな。



しかも、この『特例として認められた』のが

2017年という、たったの3年前の話ってのも驚きです。

めちゃくちゃ最近の話ですもんね。



でも、エンドロール前の終盤、

ようやく洗濯機工場での仕事(仮)が決まったジョゼフも

試用期間の1週間で、やはり難しいことがわかるも

最後にはどこぞの劇団?に入団し、

ステージの上でダンスをする姿を見せてくれる。


重度の自傷癖があり、劇中ずっっっと

ヘッドギアを付けているヴァランタンも

最後の最後にはヘッドギアを外し

支援員の若者たちと一緒に

朝食の食卓を囲む姿を映してくれた。


もちろん50人全員の

そういった姿を見ることは叶わなかったものの

1つの社会復帰、1つの成長(回復)、

こういったシーンをラストに挟んでくれるのは

観てるこちらもほっこりするし、

一種の安心感をもたらしてくれる。




既にパンフレットのインタビューを載せたけど

今回のパンフレットも良い感じ。

主演の2人、監督の2人、

主演の2人の元になった実在する2人、

3つのインタビューが載ってるのが◎です。

邦題はちょっとアレだけど、

パンフレットの内容には満足です。





最後に、『最強のふたり』に続き

今作の監督を務めた2人のインタビューから

感銘を受けた言葉を載せて終わりたいと思います。


団体内では宗教や政治のアイデンティティは介在しない。これははっきりとわかる。人は"違いを乗り越えることができる"んだ。"心を開いて、他人を気遣うこと"。それが僕らの社会には欠けている。

映画では、監査の調査員が登場人物、全員に話を聞く。そこでは、様々な視点があることが明確になってくる。僕らの社会では権力者の意向が通用しないこともある。
それがこの映画の伝えたいことだ。法に触れるということとは何か?正常ということは何か?映画はそこから逸脱することによって、それらの意味を再定義することができるということを示している。逸脱は大変な混乱を招く恐れがあるが、変化をもたらす。僕らは答えを示しているわけじゃない。歳を取れば重要なことが何なのか、少しずつわかってくる。そういった意味でも、様々な個性を持つ人々と互いを知り合うことは、やはり素晴らしいことなんだと思うよ。